湯之島館

竣工時外観



全体見取図 1階平面図 2階平面図


3階平面図 4階平面図
江戸時代、日本三名泉に数えられた下呂温泉は、台風の影響で湯が枯渇していた。名古屋に住む実業家、岩田武七は地元の要請もあり、温泉の発掘を試み、その結果新たな湯脈を掘り当て、下呂温泉はよみがえった。昭和5(1930)年に高山本線が下呂まで開通するのを見越し、岩田は通称下呂富士と呼ばれる山の中腹に温泉旅館の建設を計画、その設計の依頼を受けた丹羽英二は、木造和風建築と近代洋風建築との融合をテーマに設計を進め、昭和6(1931)年、「日本に名所がまた一つ」と言われた下呂温泉湯之島館が完成した。丹羽にとっては独立後第一作である。


竣工時外観

竣工時外観

湯之島
上空図

湯之島館鳥瞰図
開業当時は、玄関、客室、厨房などのある木造和風の本館と、ダンスホール、酒場、家族風呂、社交室のある鉄筋コンクリート造洋風の娯楽館から成り立っていた。特に洋館を彩る装飾は、アールデコの影響を色濃く反映したもので、現在の建築史家からも高い評価を得ている。戦後増築を重ね、現在の姿があるが、独立後第1作ということもあり、この旅館に対する丹羽英二の思い入れはとりわけ強いものがあり、晩年に至るまで頻繁に宿泊に訪れた。

和室

ビリヤード室

娯楽室

階段

階段

マントルピース
昭和33年には昭和天皇・皇后両陛下が、昭和51年には、皇太子殿下・皇太子妃殿下 (今上天皇・皇后両陛下)が宿泊された。
また、春慶荘に宿泊した司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で、「さすがに飛騨の匠のふるさとらしい見事な普請だった。」と記している。
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