
竣工時外観 |
|
江戸時代、日本三名泉に数えられた下呂温泉は、台風の影響で湯が枯渇していた。名古屋に住む実業家、岩田武七は地元の要請もあり、温泉の発掘を試み、その結果新たな湯脈を掘り当て、下呂温泉はよみがえった。昭和5(1930)年に高山本線が下呂まで開通するのを見越し、岩田は通称下呂富士と呼ばれる山の中腹に温泉旅館の建設を計画、その設計の依頼を受けた丹羽英二は、木造和風建築と近代洋風建築との融合をテーマに設計を進め、昭和6(1931)年、「日本に名所がまた一つ」と言われた下呂温泉湯之島館が完成した。丹羽にとっては独立後第一作である。
|